安心と冒険

安心と冒険

ここ最近は、図案づくりと、配色に励んでいます。この2つは何度やっても難しいし、時間がかかります。自分の中で、こんな柄にしたい、こんな配色が面白い、こんなものが作りたいといった思いがもちろんあって、それがモチベーションになっているのですが、それだけではやはり自己満足になってしまうのでいけません。
ちゃんとその商品が支持され、選んでもらうために、使う人がどのようなものを望んでいるかということを踏まえないといけないと思っていますし、この2つを両立させる図案や配色を産み出すことが難しいのですね。

さて、「何を今さら」ということなのだろうと思いますが、自分の中で言語化できて、腑に落ちたことがあったので、書いておきたいと思います。
昨今、着物は普段使いのものとしてカジュアルな場で着られることが増えてきているように思いますが、依然として、改まったフォーマルな場での需要もあるかと思います。そういったフォーマルな要素がある場では、TPOの言葉が表すような、ある種の型に収まることが求められると思いますし、そこでそのような場面に適した服装を身に付けることで、自分は逸脱していないという安心感のようなものが得られるのではないかと思います。
一方、カジュアルな場面では、自分の服装を通して、個性を自由に表現したいといった意欲が発揮できる環境でしょうし、そういったところで現れるのは、一つの冒険心と捉えることができるのではないかと思いました。そして、この「安心」と「冒険」という2つを通して、図案や配色といった創造的な分野を考えるべきなのでは、と思ったのでした。

と言っても、フォーマルで使われるものが安心、カジュアルでのそれが冒険、と切り分ける必要はなく、安心感のあるコーディネートの中でいかに冒険できるか、ということを考える人もいるでしょうし、思い切り冒険しながらも安心できる要素を取り込む人もいるでしょう。
また、仮にそれぞれの上限を100とすると、安心が100の服装というのは、見ていて面白みに欠けると思われる可能性があるでしょうし、逆に冒険が100の場合、この人大丈夫か?と不安に思われることもあり得ると思います。安心と冒険の要素をいい塩梅で配合できること、また環境などによって調整できること、これがセンスの良さということなのでは、と思いました(もちろん和・洋問わず言えることだと思います)。
余談ですが、高級ブランドの新作発表会などのショーで、奇抜で目を疑うような服が次々と出てくるのは、そういった場では、安心の要素を入れ込む必要がないからなのでは?と考えたら、納得できたような気がしました。

さて、図案や配色の作業においてはどうでしょうか。振り返ってみると、無意識的ながらも、安心と冒険と2つの要素を盛り込んで作ろうと考えていたように思えますが、これからはもっと自覚的に行わないといけないと考えています。
しかし、あまりに安心と冒険、この2つに単純化し過ぎるのも考え物かもしれないと感じます。1つ例として、図案に格の高い古典柄を配置しつつ、配色で冒険する、というのを思いつきましたが、これ自体が安直・あるあるなものとして安心側(つまり無難で一般的なもの)として扱われるかもしれません。まだまだ自分は知識・経験不足であり、目の肥えた人たちはもっと複合的、高いレベルで判断するのだろうと思います(無難が悪いというわけではなく、発想の拙さは見抜かれるだろうなあ、ということです)。
結局は、精進あるのみという結論になるのですが、安心と冒険というフィルターを見つけたことは、この先助けになるかもしれないなと感じます。そして、1つ留意したいことは、自分の安心や冒険と、使う人にとってのそれとを混同してはいけないなということです。