惜しいという新しい感覚

惜しいという新しい感覚

自分でイチから図案を考えてそれを描き、それを基に配色を考えてできた商品、つまり自分が携わった範囲が広い商品、すなわち「自分が作った」と言い張りたい商品が、この仕事に入ってきてからちょこちょこと増えてきていて、そして大変ありがたいことにそれが売れてくれることがあります。正直な所、頻度としてはまだまだ低く、これからもっと増やしていかないといけないのですが、その問題は一旦横に置いておいて。
売れるということがまだ多くないからこそだと思いますが、その時の嬉しさたるや非常に大きいもので、飛び上がったりすることはさすがにありませんが、じわじわと喜びが身体に広がってくるものであります。

で、これまではそういった商品が売れたときは、単純に嬉しい、喜ばしいという思いで上機嫌になるというくらいのものだったのですが、この前、またありがたいことに「自分が作った」商品が売れてくれたことがあり、売り先から仕立てのために一旦戻ってきた商品を見たとき、自分の手元から離れていくのが寂しい、惜しいといった感覚に襲われたのですね。むしろ早く手元を離れて売上げになってほしいと思うのが普通のはずなのですが、不思議なものです。
振り返って、あの今までにない感じ方は何故だったのか考えてみると、期待あるいは心配がその感情のもとだったのかなと思います。

商品づくりをしていると、図案づくりや配色決めに難航し、あるいは強いこだわりが災いして、やっとの思いでなんとか形になるというものがままあります。そういう商品は製作過程をよく覚えていますし、これはきっと気に入られるはずだ、という勝手な期待感も強くなります。また、そのような苦労や期待がたとえ伴っていなくても、自分が携わったという自覚のあるものが世に出て、そこでの反応が鈍かったりすると、大丈夫だろうか、いつまでも売れ残る羽目にならないか、と心配になります。そう、今回売れたのはそういったもの達だったのですね。
長い期間、売り場に出ては戻ってきての繰り返しでそれを見ているうちに愛着と憐憫が混ざったような不思議な視点で見ていたのだろうと思います。声をかけるならば(気持ち悪いですが)「よく見つかってくれた」という感じでしょうか。

他の誰かが作った商品を自分が仕入れてそれが売れたとしても、おそらくこのような心境にはならないだろうと思います。既製品や大量生産品ではないものづくりや、制作に時間をかけられる環境、あとは自分自身の性格など色んな要素が相まっての今回の出来事だと思いますし、それを求めてこの世界に移ってきたことを考えると、一つの願いが成就したのだなあと思います。
そして、この先経験を積むにつれてこういう感覚は鈍化していくものと思いますし、むしろ惜しいなどと感じる間もないほどにどんどん作ってはその手から離れていくという状態にしていくべきだと思いますが、だからこそ今回の感覚の新鮮さというのはいつまでも覚えておきたいものです。