楽しさとは?

楽しさとは?

僕の好きな漫画に『ベイビーステップ』という作品があって、テニスを題材にしているのですが、その中に印象に残っているシーンがあります。

あまりネタバレになってもいけないので、ざくっと説明すると、

プロテニスプレーヤーを目指す高校生の主人公が、同じ立場の高校生を相手に試合で戦います。

お互いにプロを目指す途上。負ければ後退や脱落もあり得る。そんな中、主人公は試合に勝ちます。
しかし、その勝利を上手く喜べない主人公。スコア的には大差だったにも関わらず。
それは、相手も自分と同じく、この先の人生を懸けて立ち向かってきていて、一瞬でも気を抜くとやられる、そんな恐怖を感じながらの苦しい試合だったから。

テニス歴の浅い主人公は、その感覚に戸惑いますが、そこでテニス歴の長い主人公の友人はこう言います。
「きっとすぐ分かるよ。本当に楽しい試合はそういう試合だって」

これに対して主人公の反応は「???」といったものでしたが、僕も読んだ当初は「そういうもんなのかな?」と思っていました。
しかし今では、「うん、そうだよなあ」と思います。

 

 

それはつまり、「楽しい」の感覚が自分の中でだんだんと変わってきたのだと思います。
もちろん僕は、普段の生活で人生を懸けて誰かと勝負しているわけではないし、今は個人競技のスポーツもしていません。恐怖や苦しみを感じながら仕事をしているわけでもない。
そんな中、楽しさの変容のカギがあるとすれば、それは「真剣さ」だと思います。

僕は今、着物の帯のものづくりの仕事をしていますが、今のこの環境は自分にとっては楽しい、と言い切れます。
と言っても、仲間と笑い合い、常に明るく笑顔で仕事をしているといったわけではありません。
むしろ対照的に、一人で仕事をしている時間の方が圧倒的に多いですし、おそらくそのほとんどで僕は笑顔ではなく、逆にしかめっ面や苦々しい表情をしているでしょう。

帯の図案作りに悩み、その配色に悩み、糸をどのように染めるかに悩み、難物を出さないための整経の仕方に悩み。
自分で織るときは、織機の調整に悩み、どうすれば綺麗に織れるか、速く織れるか、どうすれば狙った通りの表現になるかに悩み。
営業に出るときは、どこのどのお店に訪問するか悩み、どんな話をどういう風にするべきか悩み、どうすれば商品が売れるかに悩み。

悩んでいる最中に「楽しい」とは感じていないと思います。むしろ思ったとおりにいかずに苛立っていることが多いかもしれません。
しかし、振り返ると、そういった苦味や渋味の部分もすべて含めて、「あれは楽しかったな」と思えるのです。

これは、一人で色々とするのが好きな僕の性格による部分もあるかもしれません。何を楽しいと感じるかは人それぞれですから。
また、悩んだ成果がちゃんと自分に返ってくる今の環境も、大きな要因かと思います。

しかし、いずれにしても、へらへらしたり、斜に構えたり、ただ快楽の方へ向かうよりも、真剣に物事に向き合って得るものの方が楽しい、というのは間違いないと言えます。
「楽(らく)」と「楽しい」の違いはよく言われることですが、つまりはそういうことなのだと思います。

 

 

しかし、このように書いていると、悩むこと、苦しい思いをすることこそが楽しさだと思われるかもしれません。
僕もそう錯覚しそうですが、やはりそれは少し違うかな、と考えています。

人それぞれですが、僕は「見つけること」が楽しさの本質なのでは、と思っています。

自分の例でいうと、図案や配色、どうやって織るか、どのように売るか、そういった色々な課題を前にして良い考えが浮かばない。袋小路にいる。
このような状況でも、投げ出さず、向き合い続けていると、ある時ふいに、先に進むための道が見つかるときがあります。
それがどんなに些細な道であっても、結局は行き止まりであっても、既に誰かが通ったものであっても。
それを見つけること自体が楽しいと僕は思えるのです。

別に、苦境の中からでなくてもいいと思います。日々の暮らしの中でふと小さなアイデアが浮かぶ、といったものでも。
それが、誰かから与えられたものではなく、自分で見つけたものならば、十分に楽しいものだと、僕は思います。

 

 

元々は、ものづくりの楽しさとは…?という自分への問いから始まりましたが、何かとりとめの無い感じになってしまった…

僕が今いる業界では、どちらかというと、ものづくりの楽しさよりも、大変さを謳っているものが多いのでは、と個人的には感じています。
なので、これからは、楽しさにもっと光を当てていけたらな、と思っています。