雑記帳

 
サラリーマンから綴織の家業に入った3代目です。
日々の制作のことや思うことを綴っています。

 

祖父がまだ存命で、僕もまだ幼かった頃。
口癖というほどではないが、話の端々に出てきた言葉が記憶に残っています。
「生きていかんとアカンのやから。」
当時は、その言葉の意味や意図はよく分かっていなかったし、どういう経験や考えが起因してその言葉になっていたのかはもう知る由もありません。
しかし今、自分の中では、この言葉がしっくりくるような心境になっています。
生きていくということは、すなわち続けていくということだと。

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伝統工芸の業界は人材不足、後継者不足です。
と言っても誰も驚かないくらいには、もはや一般常識的な状況になっているのではと思います。
例外はあれど、ほとんどの業界や産地では「人がいない」ということがずっと続いているのではないでしょうか。
僕も、「綴織のものづくり」という仕事に身を置いてもう7年以上が経ちましたが、いよいよ危険水域になってきました。
仕事をお願いしている職人さんのほとんどはご高齢ですが、幸いなことに皆さんお元気です。
しかしこれは裏を返せば、ご高齢であっても安定継続して仕事が回っているので、危機感を覚えにくい、とも言えます。
いわば「茹でガエル」状態。
自覚のないままゆっくりと終わりに向かっていく。
自分も含めて少なからず当てはまるケースは多いのではないかと思いますが、それでも自分の場合は危険水域だと認識できるところまで来てしまった。
山積する課題の中でも、最優先で動かなければならない。

「人がいない」ということに向き合うのは、明らかにこれまでの人材面での怠慢…すなわち積年のツケの支払いなわけですが、それに対して単に不平不満を言うだけでは何も解決しません。
それに、先人たちが残してくれたものは悪いものばかりではなく、そのおかげで現在も仕事や生活ができているという面もあります。
とにかく、今、自分ができることを1つずつやっていくしかない。
やることはもはや単純明快で、どれだけ世代交代を進められるか、ということに尽きます。
身の周りを見渡すと、後継者がいるところは皆無に近く、今の世代で終わってしまう仕事ばかりです。
特に西陣という産地は分業体制で成り立っているので、その中の1つのパートが欠けるだけで大きな支障をきたしてしまう。
そういった事態に備えて、世代交代をする側の自分としては、なるべく幅広いことを自身で出来るようになるべく、見聞き経験することに努めてきました。
それでも、こぼれ落ちるものは多い。
しかし、手を差し出して少しでも掬い取らないと、全部無くなってしまうのですね。

時間の流れとともに無くなっていく技術やいろいろな物事。
それをできるだけ身に付けるべく行動してきました。
しかし、当たり前ですが、やはり1人では限界がある。
誰かにお任せする…にしても、出来ないことを単に丸投げでは信用されない。だから自分自身にも知識や技術は必要。
その上で、出来るだけ多くの人に次のパスを出していかなければならない。
そうでないと、たとえ技術が残ったとしても、仕事として継続することができない。
営みとして続いていかないといけない、と思うのです。
そして、次のパスを受けるのは…「後継者」ということになります。

伝統工芸の世界で後継者というと、昔ながらの徒弟制をイメージされることが多いと思います。
しかし、その仕組みが今の時代に合っていないことは明白で、職人志望で入ってきたが続かない…といったケースもよく聞くところです。
これまでやり方に固執せず、より良い方法を模索するしていく必要がある。
そして、後継者である職人の育成の難しさの要因として金銭面の乏しさが挙がることが多いですが、個人的には「環境」の側面も金銭と同じくらい重要だと思っています。
職場環境や住環境、仕事やその他の人間関係、そしてこれまでの環境と現在とのギャップ、などなど…
恐らく、金銭面よりも環境に恵まれるかということの方が運の要素が大きく、それ故にこの問題は難しいのだろうと思います。
本気で後継者育成を考えるならば、抜本的に環境づくりから始めないといけないのでしょうけど、私たちのような家族だけのいち家業では、正直なところパワーが足りません。
少なくとも今すぐには難しい…しかし時は待ってはくれない。

ところで、後継者育成と世代交代というのは似ているけれど同じではない、と考えています。
世代交代=後継者育成…とは限らないのでは?ということです。
乱暴に言ってしまえば、今持っているものを「次の人」に渡せればいい。
数年後には引退であろう職人が持つ有形無形のものの受け皿になれるのは誰か。
まずは「自分」。
そして新しく入ってくる(ことが期待される)「後継者」。
さらにもう1つの選択肢として考えられるのは「経験者」です。
経験者。
すなわち、私たちの場合だと「昔は綴を織っていたけれど今はしていない人」や「綴ではないが他の織物を織っている人」ということになります。
この考えに至ったのには、今年にご縁があって伺った「岡谷絹工房」の存在が多分にあります。

長野県岡谷市にある「岡谷絹工房」は、絹織物を軸にしてさまざまな織物の制作を請け負い、並行して研修生の受け入れや織物体験などを行っている施設です。
その中には、仕事として絹織物を織っている方々、つまり経験者が幾人もいらっしゃいました。
そしてなんと、以前に綴織の職人だった方もいらっしゃったのです。
岡谷は元々は絹糸の一大産地。現在では製糸と絹織物づくりとを絡めて展開し、そこに人が集まってきています。
それでも綴に関してはほとんど無関係であった地です。
ですが、この「岡谷絹工房」では綴を織るということに興味を示して下さったのでした。

経験者が集っていて、興味も持って下さっているという、これまでにない恵まれた環境。
しかしいくらそうであっても、すぐに仕事をお願いできる…というように簡単にはいかないと思っていました。
綴というものについての下地はほとんど何も無いわけで、そこに1から物事を根付かせるためには、できるだけ丁寧に進めないといけない…と。雑な丸投げなど以ての外です。
まずは、京都から綴の織機を持ち込ませてもらい、息抜きでも遊びでも構わないので、試しに織ってもらうことにしました。
ブランクがあったり、そもそも綴というものに初めて触れる方がほとんどなので、皆さんおそるおそる、でありました。

おそるおそる。でも代わる代わる。
ああ違う、間違っちゃった、どうすればいい?これは合ってる?ちょっと上手くいった!
だんだんと賑やかになり、だんだんと杼が動き、綴織が形を成していきます。
綴屋の視点では…お世辞にも上手いとは言えません。しかし、初めの1歩としては輝かしいものです。
何より、僕としてはこれまで綴を織る人が減っていく未来しか想像できませんでした。
それが、一時的なこととは言え、多くの人が新たに綴に興味を持ち、糸に織機に触れて下さっている。
聞けばその後、さらにいろんな人が織りに来て下さったとか。
これまで自分の中では狭く小さくなるばかりだった綴織。
それがわずかでも広がるところを目の当たりにできたのでした。

広がったと言っても、この取り組みは始まったばかり。
どう実を結ぶかはまだ分かりません。
そんな中、今現在では、織機はもう1台運び込んで合計2台に増え、さまざまな試し織りの末に、最初の仕事をお願いするところまで至りました。
記念すべき大きな2歩目です。
まだまだ課題はあるし、この先の道のりも長い。
しかし、この工房には織物が好きで織物の心得のある人たちがいて。
そして、広い部屋に立ち並ぶ織機、豊富な設備に行政の支援など、環境も整っています。
良い方向に進むと信じて、地道に1歩ずつ取り組んでいきます。
そして…
この工房の人たちの年齢はまちまちです。(もちろん詳しくは知りませんが)
しかしおそらく全員が、今仕事をお願いしている京都の織り手さんよりもお若い。
つまり、この先、知識や技術の伝達が進み、仕事をしっかりと継続してお願いできるようになれば、部分的にはとは言え、世代交代を成し得たと言えるのではないだろうか…と考えています。

僕自身は綴織を1から100まで教えることは出来ません。
かといって、京都の高齢の織り手さんが遠方に赴くのも難しい。
伝統工芸におけるこれまでの伝承…つまり師匠と弟子の密なやり取りで技術の真髄を残すことを是とする考え方からすると、この取り組みでは足りないだろうとも思います。
しかし、手をこまねいているだけでは何もならないし、今の時代において、今、自分にできることを積み重ねていくしかない。
たとえそれが藁であっても、次に伝えるチャンスがあれば掴まなければならないのですね。

今回の取り組みが実現したのは、たまたまの出会いがあったから…ご縁に恵まれたとした言えません。
しかしそれによって世代交代へ向けて少しでも前進したのは事実。
ならばもう、愚直に探し続けるしかない。
今の時代のツールを使って。諦めずに発信し続ける。
もしも目に留まって、興味を抱いて…といった方がいらっしゃったら、お力を貸していただきたい。
そしてこの世代交代がきちんと進み、その先に1から後継者を育てられる体制ができたなら、爪掻本綴はまだまだ続いていけるようになるだろう、と思います。

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祖父がこの仕事を創業した頃。
周りはもっと歴史のある織屋ばかりで、つまりは後発の参入だったそうです。
めぼしい職人はすでにどこかに属していて、祖父は人集めに苦労したとのこと。
時代背景も環境も何もかもが違いますが、今現在とやっていることは似ているなと考えると、不思議な気持ちになります。
そして、それを思うと、祖父の言葉の背景についても少しは分かるような気がします。
とどのつまり、このものづくりの仕事を続けていくことが、生きていくことに繋がる。
これまで私たちには、腕の立つ良い職人さんが何人もいた、と聞きます。そういう出会いがあった。
この先も良い出会いがあると信じて。簡単ではないですが、今、できることをやっていこうと思います。

 

 

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