雑記帳

 
サラリーマンから綴織の家業に入った3代目です。
日々の制作のことや思うことを綴っています。

昨年から、長野県の「岡谷絹工房」というところで綴織を織ってもらう、という取り組みを進めていました。

岡谷市にある「岡谷絹工房」は、絹織物を軸にしてさまざまな織物の制作を請け負い、並行して研修生の受け入れや織物体験などを行っている施設です。

元々、綴織を織るということはされていませんでした。
そこに京都からはるばる織機を持ち込ませていただき、仕事として綴の帯を織ることをお願いしました。

そして、1本目の帯が無事に織り上がりました。
喜び…はもちろんありますが、それ以上にホッとした、胸をなで下ろした、という心持ちです。

今回の取り組みは、関係する方々のご協力があってこそでした。
岡谷の方々にとっては、初めてのこと、やった事のないこと。
手間もかかる、時間も取られる。

しかし、イヤな顔はならさず引き受けてくださり、しっかりと形にしてくださった。
出来も申し分なく、素晴らしいスタートとなりました。
本当に感謝申し上げます。

商品が出来上がって、こんなにありがたいと感じるのは、家業に入ってきて初めてかもしれません。
それはやはり、本当に「有難い」ことだからなのでしょう。
「ありがとう(有難う)」の反対語は「当たり前」だといいます。

これまで「当たり前」だったことが、無くなってきている。

そもそもなぜ、京都から遠く離れた岡谷だったのか。
それは「このままでは作れなくなる」から。
もはやこれは、危機感ではなく危機そのものとして迫っていました。
世代交代が無い。織る人がいなくなっていく。そういった状況。

そこで偶然、岡谷とご縁ができ、たまたまそこに綴織経験のある方がいた。
千載一遇とはこのこと。
これを逃すともう後は無い…といった心地で、なんとか細い橋を架けることができた…
といった経緯でした。

織屋の仕事をしていると、職人さんに仕事をお願いして織ってもらうのが日常です。
家業に入った7年前、すでに人材不足は叫ばれていましたが、今よりも織り手さんは多かったし、仕事も多く回っていた。
そして、織屋は「親方」だという昔からの考え方。
織屋は職人に仕事を頼めるのが当たり前、という認識。
外から入ってきた自分でも、そういったことに少しずつ染まっていたのかもしれません。
今となっては時代遅れですが…
この度の経験を経て、これまでの当たり前はもう無くなったのだ、ということが身に沁みました。

職人がいる、ということは当たり前ではない。
これはもはや、前提条件。
そして、職人がいたとしても、仕事を頼めることは当たり前ではない。
この認識をしっかりと持つ必要がある…というのが現状です。

昔は職人さんの方から私たちのところへ仕事を求めて訪ねてこられることもあったと聞きます。
それは、旧来の織屋と職人との関係性から起こる出来事だったのでしょう。
今現在、同じことがあるかと考えると、限りなく無いだろうと言えます。
自立している(しようとする)職人さんも増えているだろうし、織屋も今までのような親方面はできないでしょう。

それに、極端ですが「仕事が無くなっても困らない」という職人の割合も増えてきているのでは、と思っています。
趣味、楽しみ、あるいは副業的に織物を織っている、というケース。
そういう人たちがどういったものを作っているかはさておき、仕事や活動が生計の中心でない職人や作り手も確実にいらっしゃるわけです。

つまりもう、職人は仕事を常に求めるもの…とは限らないと考えた方が良いし、さらには「職人」といっても様々な形や生き方があると考えるべきなのだ、と思います。
画一的な職人像ではなく。
職人仕事一本で生計を立ててこそ一人前…という考え方は、一昔前は常識だったかもしれませんが、今では崇高な理想になってしまった…と感じます。
その道を歩む人が尊敬されるのは当然ですが、その希少性を愛でているだけでは何にもならないし、「職人」の裾野はもっと広いだろう…と。

高みを目指す人もいれば、そうでない人もいる。
そして、伝統工芸は、綴織は前者にしか許されない…というような雰囲気や反応を経験してきました。

確かに、杜撰な質では伝統とは言えない。
しかし、後に続いてこそ伝統と言える。

今はその狭間なのだと思います。
綿々と続いてきた神業的な品質を維持するのは難しいが、では出来ないのなら止めてしまえばいい、というわけにはいかない。
いろんな変化を呑みつつ、できる限りのことをしながら続けていく必要がある。
そのために、懸命に模索しなければいけないのだな、と思います。

岡谷の地でも感じましたが、ものづくり、そして織物のフィールドの中にいる人たちはさまざまな方向を向いています。
織屋の職人観だけでは分からなかったことです。
そういった人たちに、綴織に興味を持ってもらい、やってみたいと思ってもらう活動が必要である…

…これはごく一般的な広報と求人なわけですが。

しかし、職人の母数が多かった昔の時代とは違う方法で、また旧来の織屋という立場には頼らないようなやり方が求められるわけです。

難しい。

まだあまり具体的にはなっていないし、月並みな表現ですが、示していくべきは「希望」だと思っています。
伝統工芸の、綴織というものの魅力や価値、そして環境や待遇など全部ひっくるめたもの。

まだまだ力不足ですが、引き続き地道に頑張っていこうと思います。
もし少しでも興味を持たれたなら、是非お声がけください。

 

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